思うままに書いてみようと思う(2)

社会人になった…若気の至りも味わったW



学生なりの自由も気ままさも味わい、専門学校を卒業し、私はデザイン事務所のアシスタントデザイナーとして入社した。

今考えると、えらく素敵な会社に入社できたものだ。
当時は先端をいく会社がたくさん入っていたセントラルアパート。
原宿のラフォーレ原宿の斜め向かいのビル。
社長含め10人の会社。
小さいかもしれないが、アパレル系の広告を多く扱う案件のレベルが半端ない会社。
社長はいつもシンプルでカジュアルな服装で、社長と呼ばれるよりは名前で呼ばれるのを好む人で、アートディレクターを兼任している。デザインの仕上がりには息を呑む。
上司も先輩もセンスよく、毎日が刺激だらけ。
厳しいことも、きちんとアドバイスしてくれた、社長も上司も先輩も、優しい方々だった。
本当にあのまま、仕事に取り組んで続けていたら、もっと立派なデザイナーになれていたのかもしれない。

週休1日、朝10時提示出社で帰りは終電で帰る。
定時帰宅もできなくはなかったかもしれないが、当時はその空気はなかったし、自分の仕事が終わっても、先輩の仕事を手伝うと勉強もできるし、コツもつかめる。
休みは原宿~青山~原宿をブラブラし最新のデザインを目に焼き付ける。
家には睡眠をとるだけに帰る生活だったので、親は心配し始めた。
ずっと駅員を続けてきた父はデザイナーの日常を想像もしないので塹壕しまくりの私を夜遊びでもしているのではないかと疑い始め、毎日のように夕方6時に会社に電話をかけてきた。

私はたちまち、いたたまれなくなり、上司からも「そろそろ帰りなさい。」と言われるようになった、。
もともと学生気分のフワフワしていた私は、仕事の基礎もまだこなせず、あまりの覚えの悪さにその部分でも会社に居づらくなっていった。

夢見がちで、フワフワな私は、通いつけのブティックの社長と知り合い、
「うちで雇ってあげるからおいで!」と言われ、その気になってデザイン事務所を辞めた。
小狡い私は、父のしつこい電話のせいd居づらくなったと辞めたのだ。
未熟な自分のことはきれいに棚にあげた。

そこから私は自分の甘さに苦しむことになる。
販売の知識もアパレルの知識もない私がアパレル会社の役に立つことはなく、簡単にクビになった。
そこからは、職を転々とし、デザイナーへの道もあれで途切れた。
このままではいけないと思い、まずは販売職をおぼえようと決心して、アルバイトから始め
最終的には店長までなれた。販売の醍醐味も充分に味わった。
でも、頭の隅に中途半端で辞めたデザイナーへの未練があった。

続きは…そのうちw










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